2007年1月15日

憲法に「定年」はない
負の歴史刻まぬ07年に

(事務局長 安藤 健)

 二〇〇六年はメディア敗北の年だったと言えるだろう。「ポスト小泉」の自民党総裁選。右旋回の暴走列車に化ける危険性を承知していながら、「安倍政権」誕生のシナリオを、メディア自らが描いてしまったからだ。

 そんな安倍晋三首相は「美しい国日本」を掲げ、戦後レジームの大転換を企てている。年末には、歴代首相が手を付けることさえ難しかった教育基本法の「改正」と防衛庁の「省昇格」まで実現させてしまった。

 なぜ、これほどの大転換が短期間に実現してしまったのか。その元凶は、「メディアの沈黙」ではなかっただろうか。

 個人よりも国家社会の利益を重視する新教育基本法は、戦後教育の理念を根本から覆し、行政が教育現場に介入することを許すこととなってしまった。これはまさに、戦前の国家統制教育に逆戻りさせる愚挙だ。それにもかかわらず、メディアの報道は及び腰だった。

 一方で、半世紀にわたって内閣府の外局に位置づけてきた、防衛「庁」の名を捨てた暴挙は、戦後日本の「理性」までをも捨て去ったというほかない。さらに、「防衛省」は、自衛隊の海外活動を本来的任務と位置づけた。これは「集団的自衛権容認」に道を開く「違憲立法」の疑いが強いのに、メディアはほとんど沈黙したままであった。

 首相が、その先に見据えているのは「改憲」以外の何物でもない。そんなことは、百も承知のメディアが、なぜ黙り続けているのか。自民党が先頭を切り、最大野党の民主党までが前のめりになっている「改憲」を、もはや既成事実であるかのごとく考えているからではないだろうか。

 首相の唱える「美しい国」という言葉自体に異論は少ないだろう。しかし、首相は忘れていないだろうか。私たちが平和憲法を守ってきたからこそ、忌まわしい戦争へと道を踏み外さなかったという、「美しい」歴史が築かれたのだということを。

 憲法は今年、施行六十年を迎える。だが、六十年を「還暦」ととらえ、憲法に引退を促すわけにはいかない。憲法が「戦争をしない」と誓った平和への思いに「定年」などないのだ。

 物言わぬメディアなら、戦中の「大本営ジャーナリズム」と何も変わらない。メディアが「戦争国家」の片棒を担いだ「いつか来た道」に戻らないためにも、憲法を守るという思いを、私たちはあらためて確認したい。

 二〇〇七年を「逆コース元年」として歴史に刻むことだけは、決して許すわけにはいかない。

2007年会員雑記帳へ

トップページへ