2007年1月15日

JCJ北海道支部会員から
2007年新春メッセージ

少年の眼
能條 伸樹

イスラエルの空爆とヒズボラの砲撃にけむる空の下に、夥しい血が流され続けた。その宣戦布告なき戦争に停戦協定が発効したという日。エア・ポケットになった瓦礫の街の映像から、私は一人の少年の眼を感じた。

三十数年前の冬。「六日戦争」と呼ばれた第三次中東戦争が終わり、しばしの平穏が訪れたイスラエルに、私は新聞記者として入った。そしてヨルダン川西岸の占領地、エルサレム近郊のダウンタウンで、高校生だという一人のアラブ少年に会った。

偶然すれ違った見知らぬ日本人に、小さな道案内を頼まれて、彼は少し戸惑いながらも頷いてくれた。いくつかの街角を過ぎたとき、突然彼は佇ちどまり、声をひそめた。

「前方にイスラエル軍施設があります。兵士も歩いている。決してふり向かずに通り過ぎましょう」

そのとき、少年がみせた固い表情に私は胸をつかれた。瞳の底に渦巻いていたのは、親しいものを戦火に奪われた憎悪と苦悩のカオスだった。彼と別れたあとも、この国での滞在中を通して、私はその少年の眼を感じ続けた。

あれからもう三十余年。中東の火種は、いまだに消えない。あの少年は無事に成人しえたのだろうか。そして、いまも絶え間なく繰り返される不条理な戦乱の中で、アラブの少年たちは、どう生きているのだろう。

テレビが、無残に崩れ落ちた家屋の残骸、荒廃した街を行き交う人々の姿を流している。私はその中に、また、物蔭からじっとみつめる少年の眼を感ずる。誰に訴えようもない深い悲しみ、怒りと、それらをもたらすものすべてへの、鋭い告発の眼を。

とても気になること
伏木田 照澄

 「国民精神作興に関する詔書」が、一九二三(大正十二)年十一月発布され、札幌市でも時計台で捧読式がもたれている。
 忘れられたことだが、最近このことが気になっている。この詔書は国民教化運動の基礎となったもので、戦争への道、大政翼賛思想に発展して行く。
 教育基本法の改正が、この国民教化運動とそっくりなのだ。当時、大正デモクラシーが謳歌され、新聞社も急増、自由・平等運動も高揚したが、足元でこの反対の時流が本流になろうとしていた。
 現在の「美しい国日本」「いざなぎ景気超え」などに気をとられている底流で、この歴史の回帰が実に巧妙に仕組まれている。教基法の改悪、防衛庁の省への昇格、憲法改正が、その回帰を浮き彫りにしている。
 実に大変なことが起きようとしているのだ。戦争への道だけは絶対阻止しなければならないと思う。

「拒否できない日本」が
問いかけるもの

山田 寿彦

毎日新聞の一月六日付朝刊の一面トップは、公正取引委員会が国土交通省の官製談合を認定し、国の省庁に初めて官製談合防止法を適用するという特ダネだった。同日夕刊で朝日と道新が一面で、NHKも全国ニュースで追いかけた。読売は八日付朝刊社会面トップで掲載した。
自分が所属する新聞のスクープを喜びたいところだが、今回はやや複雑な心境でこの記事を眺めた。ちょうど年末年始の休みに「拒否できない日本」(関岡英之著、文春新書)を読み終えた直後だったからだ。
 同書はアメリカ政府が日本政府に毎年突き付けている「年次改革要望書」に着目し、内政干渉に等しい数々の要求が、日本の社会で「規制緩和」や「構造改革」の衣をまとい、次々に実現していることを見抜いた好著である。日本の社会構造がアメリカの意のままに作りかえられようとしていることに愕然とさせられる。
 同書によると、米国は要望書の中で日本的な独特の商習慣である談合の防止を公正取引委員会の権限強化と併せて求めていたという。いわば「必要悪」として黙認されてきた官製談合の摘発が捜査当局や公取委によって突然相次いだことはここ数年、記憶に新しい。私たちマスコミはその動きを、役人の既得権益にメスを入れる「正義」として報道してきた。
官製談合は役人・政治家の利権あさりと一体であり、放置していいものではむろんない。しかし、それを排除することで、むき出しの弱肉強食の競争原理を自国の利益のために日本の社会に持ち込もうというのがアメリカの狙いだ。談合を摘発する当局の意図の背景に米国の圧力がある事実を日本のマスコミは伝えていない。とすれば、私たち日本のジャーナリストは本質的な仕事を何もしていないとさえいえる。
権力の表層の動きで抜いた、抜かれたの戦いを繰り返し、「勝った」「負けた」と泣き笑う日本のマスコミをアメリカはせせら笑っているかもしれない。ゲームのためのゲームの無意味さに、私たちは気づかなければならないことを「拒否できない日本」は突き付けてくる。二〇〇七年はそんな憂鬱な気分で幕を開けた。

「夕張」は二度死ぬのか?
齋藤 誠

 年間収入(標準財政規模)の八倍にのぼる三百六十億円の赤字を抱えた夕張市が今年「財政再建団体」に転落する。国の監視下の財政再建はイバラの道だ。
裏長屋のしみったれ大家が家賃の滞る店子の夕餉(げ)の膳にまで口出しするような仕儀で「イワシはぜいたくだ。そんな金があるなら家賃を払え」とやかましく干渉する暮らしが少なくとも向こう二十年は続く。市民向けサービスは低下し、逆に市民の負担は急増。市職員の給与も半減するという。早期退職を希望する市職員が相次ぎ、故郷を棄てる人も少なくない。現代の「棄民」は恐らく止まらない。一万人と少しの夕張市は人口流出によって早晩、存亡の危機に陥るだろう。
大小二十余の炭鉱を抱え、最盛期に十一万人余の人口を擁して『炭都』と呼ばれた夕張市が大きく揺らいだのは八一(昭和五十六)年十月、九十三人が死んだ北炭夕張新鉱のガス突出事故だ。新鉱は間もなく倒産。北炭(北海道炭鉱汽船)グループは鉱員千人の退職金を払えなかった。市は資金繰りを支援する目的で北炭が夕張に保有する社有地を二十六億円で一括買収した。暮らしを守るために炭鉱病院や炭鉱住宅、古い発電設備まで買い取りを迫られた。基幹産業を失った夕張は多くの失業者と負債と、山間のさして用途のない旧炭鉱社有地を抱えて今日がある。地域の生き残りを探る夕張にとって、この四半世紀はまさに「苦界」だったのである。
どこかの知事は「粉飾決算だ」と指弾し、「放漫経営だ」と調子を合わせる記者もいる。近ごろの知事は『戦争を知らない』どころか『北海道を知らない』者でも勤まるらしい。石炭は戦後復興の基幹となる鉄鋼と鉄道を支えるエネルギーだった。国内炭の切り捨て政策で炭鉱の雪崩閉山が続いた一九六〇年代以降、夕張は疲弊した。その夕張に北炭は自らの傲慢経営のツケを押し付けたのだ。経緯を知り、市民の暮らしに目線を合わせれば「隠していた」と検察官のような犯人探しの物言いには決してならないだろう。「北海道の歴史」を改めてさらってみたらいい。
八五(昭和六十)年に六十二人が死亡するガス爆発事故を起こした三菱南大夕張炭礦が五年後の九〇(平成二)年に閉山。夕張から炭鉱がすべて消えた。夕張は戦後北海道の縮図だ。戦後日本の産業(石炭)政策が「夕張」を膨張させ、政策転換が崩壊をもたらした。相次ぐ炭鉱閉山で「石もて追われるごとく」郷里を去った人も少なくない。今、故郷の夕張をひっそりと去っていく人々がいる。再びの「棄民」。夕張を二度も殺していいか?

「終わり」の始まり
古田 俊暁

 数に任せ六十年目で教育の憲法を改悪した安倍内閣。憲法そのものの改悪を射程に捉えているが、政権内の綻びも噴出し始めている。ところが、中央紙やテレビメディアは相変わらず現象報道に明け暮れ、追い詰めることもままならない。石原都知事の豪遊・公私混同を追及し続ける赤旗やブロック紙の論調こそが世論の反映ではないのか。利益至上主義の企業の歯車に組み込まれ、批判精神を失いつつある既成メディアの行く末を案じずにいられない。
 電通によると、日本の広告費は二〇〇五年で六兆円規模になっている。ただ、新聞は辛うじて1兆円を維持してはいるものの、シェアは〇三年の18・5%から17・4%へ減少し、部数ともども下げ止まりの気配は見られない。これに反して、インターネットサイトの広告掲載費は〇三年の千百八十億円から、〇五年には二千八百億円と三倍弱に跳ね上がり、シェアも5%に迫っている。広告主のインターネットへのシフトは明白であり、新聞・テレビにとっては収入構造の転換が突きつけられている。
 カリスマ的人気を誇った小泉内閣とは違って、安倍内閣は幾つものアキレス腱を抱えている。参院選まで持つかどうかとの観測も出始めている。「終わりの始まり」が水面下から現実になる予兆ではないのか。一気呵成に健筆をふるい政権を追い込んでゆく気概を取り戻さない限り、商業メディアにとっても「終わりの始まり」のしっぺ返しを受けるような気がしてならない。少なくとも「右へ、右へ」のギアチェンジには、真っ向から対峙して行こうではないか。手足を縛られ、口を塞がれる前に。

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