2008年1月25日

2008新春メッセージ

 JCJ北海道支部会員3人と、12月例会に出席してくださった森田さんから、新年に寄せていただいたメッセージです。

戦争する国
古田 俊暁

 新得在住の藤本幸久監督とフリージャーナリストの影山あさ子さんが二人三脚で制作している「アメリカ・戦争する国の人びと」が大詰めの段階を迎えている。この後、初年兵のブートキャンプを取材して編集作業に入り、08年5月の完成を目指している。

 戦争する国・アメリカ≠ヘ、第二次大戦以降もベトナム、湾岸、アフガン、イラク等の戦争をし続けている。しかも常に外国での戦争のため、影山さんは「アメリカの戦争体験者は、兵士とその家族だけで、それ以外に戦争体験を語る者はいない」と、特異な国のあり様を指摘している。

 標記のドキュメンタリー映画は、イラクに従軍して5日目で戦死した息子ケーシーの死に抗議してブッシュの別荘のあるテキサス州クロフォードで大統領に面会を求めて座り込んだシンディ・シーハンさんらの行動をはじめ、アメリカ社会が患っている病巣を具体的にあぶり出し、ひたすら追随し続ける日本国民に対して、目覚め≠フ鋭い警鐘を鳴らす。

 100人以上のイラク人を殺し、PTSDに苛まれる24歳の帰還兵。アメリカ人の100人に1人といわれるホームレス生活を強いられる元兵士。若者を戦場に送るな≠ニ叫んで兵隊募集のリクルートセンター前で座り込みを続ける老人たち。上官にレイプの苦痛を繰り返しうけながらも逆に軍事裁判で裁かれる女性兵士。ブッシュの側近で軍需と石油利権に群がるネオコンは、戦争≠アそが儲けの根幹なのだ。

 行き着くところまで行き着いたアメリカの格差社会は、一握りの富める者と医療・福祉・教育から葬られた貧困層と兵士になるしかない若者を大量に生み出し、所得上位1%の人たちがアメリカの総所得の40%を占めているという。JCJ8月集会で講演をお願いした北海道東海大学の小林公司教授によると、1日1ドル未満で生活している人は世界で11億人、8億5000万人が慢性的な飢餓に苦しみ、600万人以上が感染症で亡くなっており、10億人以上が安全な飲料水を飲めないという。

 小林教授は学生たちにフィールドワークの大切さを説き、「現場に出向いて思想と感性の足場を築き、積極的平和主義を目指そう」と提起する。私たちジャーナリストにとっても重い響きとして胸に迫る。

 新聞もテレビも収益構造の崩壊が決定的となり、「本物」が問われる時代に入った。二度と戦争をしない″曹テくりに確信を持ち反転攻勢のスタートラインに立ちたいものだ。

毒消しが欲しい
能條 伸樹

 一年がめぐり、また一年がはじまる。だが、もう幾度、ぼくらは初春のささやかな希いを、裏切られ続けたことか。そして新しい一年にも、普通の人々の穏やかな生活を脅かす、あぶない怪異のものどもが、行手の物蔭に待ち伏せている。
          ◇
 ふり返るのもおぞましいが、過ぎ去った一年にぼくらが目撃したのは、無残な人間という生き物の所業だった。子が親を、親が子を殺し、追いつめられて自死した若者の屍が腐臭を放った。変化は地球温暖化のレベルではない。いまこの気圏や地圏の底には、忌わしい精神の毒素が蓄積されて、天気図の裂け目から吹き出しつつある。ああ「毒消し」はないのか。
          ◇
 テレビや新聞が日々流し続ける報道は、偽りと裏切りの鏡だった。日常茶飯の暮らしの場で、夥しい食品偽装が食卓のだんらんを蝕んだ。人々は、一皿の「おかず」にまで怯えている。そして、入れかわり立ちかわり、記者会見の席で頭を下げる責任者たちの姿ほど、虚しいものもなかった。でも、テレビを消し、新聞を畳んで尻に敷いてみても無駄だ。裏切りの腐臭はすでに家ごとの床下に浸透し、時を選ばず、また腥い風を吹き戻すだろう。
          ◇
 もうやめよう。こんな雑言づくしの「新春メッセージ」など、丸めてドブへ捨ててくれ。だが、あるべからざることへの怒り≠セけは、ひそかに腹中に残そう。いまも地球の向う側で、流され続ける無辜の血のためにも。

言葉を磨く
安藤 健

 整理記者としての矜持は、いかに洗練された言葉で見出しをつけるかということに尽きる。毎日、頭を悩ませる仕事だが、目立つがゆえに毀誉褒貶もつきものだ。この新年、私がつけた一つの見出しに、まったく正反対の評価が下され、この仕事の難しさを、あらためて思い知らされた。
 新年四日の朝刊一面。道内の駅や空港でUターンラッシュが始まったという恒例のニュースに、私がつけた見出しは「日常行き*梵ネ」。込み合う札幌駅のホームの写真を眺めながら、私の胸に去来した思いは「楽しい正月休みも終わりか…。帰ったらまた、いつもの仕事だなあ。ああ」というため息だった。考え込むこと三十分。乗り込まんとしている列車の行き先に、そんなため息を引っ掛けてみたのだ。
 われながら自信作、と悦に入ってみたものの、当日のデスクからは一言の感想もなし。ところが二日後、あるデスクが、突然声をかけてきた。「某グループ会社の社長が、おまえの見出しを絶賛していたぞ」とのこと。その社長は、仕事始めの社員向けのあいさつで、私がつけた見出しを引用して、「君たちも、日常≠ニ非日常≠ニいう感覚を忘れるな」と話したというのだ。
褒められて悪い気持ちはしない。「やはり分かる人には分かるものだ」とほくそ笑んでいたのだが、そんなところに思わぬパンチが飛んできた。同じ日に部に届いた読者センターのレポートに、「日常行き≠ニは何のことでしょうか。いくら辞書で調べても出てきません」という苦情があったと記されていたのだ。それも五件も。読者センターの担当者は、私の胸の中のつぶやきを代弁してくれたようだが、読者氏は「そうなんですか。でも分かりづらい見出しですね」と答えたとか。独りよがりだったのか、と顔から火が出る思いでレポートを読み終えた。
 「言葉を磨く」。整理記者の世界では、まさに永遠のテーマだ。記事そのものと同様に、冗漫な見出しや独りよがりな見出し、舌足らずな見出しは、新聞そのものの評価にも直結するものだと思う。分かりやすく、それでいてスマートな見出しをつけることの難しさを、思わぬ形で再確認させられた。

矜持を持つ
森田 彰

 アブデルガニ・エナムさんが十二月例会で指摘した「過度に伝聞情報に頼ることなく、困難でも現場に入り込んで取材し、客観的に報じる」ことの大切さは、いつでも、どんな媒体でも、どこにいても変わりません。二〇〇八年も初心を忘れずに伝えるべきことを伝えていきます。
 世間の関心は北京五輪、洞爺湖サミット、総選挙の三点セットに集まっています。道内のスポーツファンならコンサ、日ハム、レラカムイでしょうか。ジャーナリズムの一端に携わる者として、時流に即することは必要です。私はそれに加えて、ロシア・サハリン州の地下資源開発の行方と北朝鮮による拉致問題の解決、道路交通法改正という「私の三点セット」についても見定めていくつもりです。
 昨年末、軍事境界線から北朝鮮の町並みを見ました。稚内勤務時代に宗谷岬から百度以上は目に焼き付けた樺太や、釧路と北見勤務時代に足を運んで数度は目にした北方領土と同じく、往来の自由を妨げる現実に、激しく胸を揺り動かされました。日本は北朝鮮から国民の命という主権を侵害されていながら、なにゆえ弱腰なのか。現地で出会った韓国人の「頼りにならない日本人の力など祖国統一のために不要」という言葉に、日本男児として唇をかみしめました。

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