2009年1月1日

<2009年頭言>

「研磨」と「告発」と
メディアの劣化を食い止める〜

代表委員 古田 俊暁

 毎日新聞に続いて、南日本新聞も来年3月に夕刊を廃止する。アメリカでもメディア界に君臨するトリビューン社が破産する時代だ。果たして活字離れ・新聞離れを留める術は残されているのか。国民の知る権利に応えているのかを真摯に猛省することで、逆バネを活かす出発点にしたいと思う。

 一方で地上デジタル放送への完全移行を危ぶむ声も渦巻いている。デジタル受像機の普及が思うに任せず、2011年7月時点での「地デジ難民」の現出が確実視されているからに他ならない。127局の民放は莫大な設備投資に追われ、赤字転落を余儀なくされる深刻な事態だ。地デジ完全移行は、「良質な放送コンテンツの提供とセット」と喧伝されてきたが、設備投資に加えて広告費の激減が経営を圧迫し、制作費の大幅削減に追い込まれている。予算の下方修正、番組制作の聖域なき見直しが、制作者の萎縮、負のスパイラルを招きかねない状況である。

 テレビは、まだ55歳と還暦にも満たない未熟のメディアである。その一方で視聴者への影響力はとてつもなく大きい。仕事柄、視聴者からの様々な声に接しているが、手厳しい意見は期待感の裏返しでもある。そこに求められているのは、顧客第一主義の「気づき」ではないか。社会のモンスター化を葬ることなく、愚直に応えてゆく意識改革こそが信頼醸成の近道であろう。ネットの席巻は予測され、折り込み済みのはずなのだ。

 「真実の報道を通じて世界平和を築く」をスローガンに創立したJCJの真価も問われている。私たちは書くべきことから眼をそむけ、広報機関に陥っていないか。読者や視聴者は、メディアの劣化をとっくに見透かしているのではないか。現実を直視しジャーナリストとしての感性を磨き、研ぎ澄ます。つまり、原点である「研磨」の精神を再生させることがリスタートの立ち位置ではないか。そして、無為無策の政治・行政に対して国民の目線で青臭くものを言う、「告発」の視点への復帰が、新聞、テレビへの信頼感の回復につながるに違いない。

 アメリカ発の新自由主義を鵜呑みにした小泉構造改悪は、規制緩和を謳い文句に非正規雇用に道を開き、医療・介護・年金など社会保障費の切捨てで、深刻な格差社会を生み出した。憲法で保障された「命」を脅かす弱者切り捨て、地方置き去り政治の横行で国民の疲弊感は怒りとなって噴出している。なのに、太郎と一郎の政局≠ノ明け暮れるメディアの危機意識の希薄さが読者や視聴者との乖離を一層深めている。

 高齢者や青年、農業者などが各地で暮らしや命を守る戦いの先頭に立っている。今こそ地域で奮闘しているジャーナリストの出番ではないか。困窮する人々の懐に飛び込んで、想いを共有し確信を持って発信することの意味が問われている。私たちが拠り所とすべきは権力への擦り寄りではなく、日本国憲法に他ならない。新しい年が多くの人々の思いを代弁するメディア再生のラストチャンスである。オバマの「Unite for Change・変化のための連帯」に踏み出そうではないか。

2009年会員雑記帳へ

トップページへ