2007年7月6日

「STOP!格差社会」
憲法フェスで斎藤貴男さん講演

 青年法律家協会北海道支部は、7月6日に憲法フェスティバル2007を札幌のエルプラザホールで開催し、ジャーナリストの斎藤貴男さんが「STOP!格差社会」と題して講演を行った。講演要旨は以下のとおり。

『忍び寄る「生きる権利」の破壊と
憲法「改正」がもたらすもの』
〜斎藤貴男さん講演要旨〜

 問題意識に目覚めたのは、90年代半ばにイギリス留学から帰国し、プライバシー問題の取材をしたのがきっかけだった。監視社会に突き当たり、規制緩和万歳の光と影を研究してみると、生易しいものではなかった。ローソクみたいな光は、ひとにぎりの恵まれた人のみに配分され、圧倒的多数は真っ暗闇。そこから格差社会が見えてきた。仕上げとしての憲法改定なのだと認識している。

戦争のメカニズム

 憲法が変えられたら、どのような社会になるのか。自分が怖がっていたのはこんなことだとハッキリさせられた経験がある。障害者自立支援法が一昨年に成立したが、「障害があるのは自己責任だから、施設への入所の際は金を払え」というのが法律の考え方。家の中で引きこもりがちな障害者たちが、社会に参画できる喜びを得ることができるのが共同作業所福祉サービスとしての機能なのに、労働して工賃をもらっても収入よりも支払いのほうが多くなるという改悪法であった。日本の作業所は企業からの下請け仕事が取れなくなり、仕事がなくて困っている。アメリカはどうか。意外な返事が返ってきた。仕事は豊富にあり、洗濯の仕事が多いというのだ。それは軍服の洗濯。戦争で返り血を浴び、あるいは米兵自身が血だるまになって本国に帰ってゆく。このサイクルが確立している。障害者福祉さえも戦争のメカニズムに組み込まれている。アメリカでは戦争がなければ仕事がなくなる。これを恐れていたんだと気づかされた。

格差と戦争が原動力

 アメリカは徴兵制度が中断したままである。ベトナム戦争の終結以来、そこまでやる必要がないからだ。志願兵だけで兵隊を調達できる。日本の比でなくすさまじい格差社会の下、戦争で手柄を立てなければ貧しい者は奨学金ももらえないし、大学にもいけない。貧しさのハンディを乗り越えるためにも兵士になって、手柄を立てるしかないのだ。アメリカ社会は戦死、PTSD、傷病などの現実を抱えている。日本もまた軍事、経済、社会のあらゆる面でアメリカを目指している。「格差」と「戦争」が、世の中を動かす原動力になっていく。「憲法改定」はアメリカのミニチュア版の最後の仕上げと位置づけられる理屈である。

生存権違反の非正規雇用

 格差社会は、職場における正規・非正規労働者の問題に代表される。非正規雇用は勤労者の33%、フルタイム労働で比較すると正規雇用の6割の賃金といわれている。非正規の労働者はフルタイムで働きたくても働けないのだから、実態はもっと悲惨だ。労働基準法で雇用主には安全配慮義務が課せられ、無茶な労働はさせられない。ただ、これは正規労働者に当てはまるもので、非正規労働者の過労死、過労自殺はひきもきらない。非正規の女性は会社の人事部に雇われていない派遣労働が多く、セクハラの対象になりやすい。OLはどこにも訴えられず、泣き寝入りを強いられ、抗議もしづらい社会になっている。人間としての身分格差とも言える。これらは憲法25条の生存権違反ではないのか。正規雇用者も崩されてきている。「ホワイトカラーエグゼンプション」法制化の動きは中断しているが、選挙が終われば再び頭をもたげてくる。残業なしのタダ働き法である。人件費削減の中で正規雇用者の残業代という権利をなくせば非正規との格差がなくなるという乱暴な論法だ。まさに格差社会の悪用以外の何者でもない。こうした考え方は政府が設置している規制改革会議の意見書にハッキリ出ている。「最低賃金の引き上げは失業をもたらし、却って困窮状態となる。女性の雇用を手控えるという副作用もある」。労働者の権利など必要ない、最初から権利をなくせば雇ってやるよという、ほとんど脅迫だ。ならば問おう。企業は後々の責任を負いたくないと、目の前に広がるビジネスチャンスをみすみす逃すのか、と。

学校への競争原理導入

 従来は終身雇用、年功序列で、「平等」を教えることが出来たが、階層化や差別化の企業社会が定着し学校だけは平等≠フ考え方も排除されてきた。4月には全国一斉に小6と中3で学力テストが実施された。テスト結果を学校ベースで公表し、教員評価制度、学校選択制と連動されることになっている。平均点の高い学校は、保護者の人気も高い。点数によって教員の評価も上下する。学校へのあからさまな競争原理の導入だ。お手本とされるイギリスの教育システムはどうなったか。義務教育の解体が進み、教師の焦りを招いて、成績の悪い子にはテストの日に学校を休ませて平均点を上げることになった。差別された子どもはふざけた先生の下では教育は受けられないと反発し、貧しい移民の子が学校に来なくなり切り捨てられている。地方ではやめようという動きが出ているが、イングランドでは未だにやめる動きはない。こうしたイギリスの動きをわかっていながら、日本が追随するのはなぜか。機会均等など葬り去るべきものだという論理だ。

エリート教育に本腰

 2002年に学習指導要領が改訂されて、小中学生の授業時間が3割減らされた。文部科学省は「今までが詰め込みすぎで、落ちこぼれをなくすために全体のハードルを下げた」としているが、本音は違う。ゆとり教育の原案は教育課程審議会が作ったものだ。私は当時の三浦朱門会長に直接会って取材した。三浦会長は「平均学力は低い方がいい。戦後の日本は落ちこぼれの尻をたたいて手間暇かけてやってきたおかげでエリートが育たなかった。これからはできん者はできんままで結構。非才無才はせめて実直な精神だけを養っておけ、それがゆとり教育だ」と言った。エリート教育をやりたいとハッキリいったらどうかと問いかけると、「本当のことを言ったら、国民が怒るから、まわりくどく言っただけ」と言い放った。まわりくどい部分が近年になってあからさまになったのが、例えば習熟度別教育。3割戻った部分は発展学習にあて、低学年から「できる子、できない子」にクラス分けし、限られた人手、予算をできる子に集中的に投入して、格差を身にしみてわからせるというのだ、あらゆる改革≠ノ共通するのは、恵まれた人が全てを分捕る市場原理、自己責任原理の導入だが、こんなものは大嘘だ。所詮はスタートラインが違うのだから。構造改革で更に格差が拡大する。小泉・安倍は再チャレンジというけれど、最初のチャレンジをさせてもらえていない人に再チャレンジなどあり得ない道理だ。
 9条改定、米軍再編。アメリカと一緒に戦争する社会、いつでも兵士を調達できる同じシステムへと、この国は向かっている。徴兵制は多くの反対が出るから、反対をなくして国に命を捧げるためには格差を広げることが必要だ。金だけでなく身分を固定し拡大することは命の格差につながることに他ならない。

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