2009年2月14日

沖縄には「非憲法的状況」が凝縮されている
琉球新報・松元記者が「基地の島の今」語る

 米軍基地問題の取材を続けている琉球新報の松元剛記者による講演会「沖縄(シマ)という窓から見える『九条の現在』」が二月十四日、札幌テレビ塔で開かれた。松元さんは、米軍機訓練の爆音に悩まされる嘉手納基地周辺住民の苦悩や、普天間基地所属の米軍ヘリが沖縄国際大構内に墜落した事件などを取材してきた経験を踏まえ、「沖縄では米国本土でも造れない基地が造られ、米国本土でもできない訓練が行われている」と批判。そうした米軍の行為を日本政府側が容認し続ける関係について「憲法が日米安保体制に凌駕されている」と懸念を示すとともに、日米のいびつな二国間関係を解消し、憲法九条の平和理念を具体化するためにも、「アジアの多国間安保を主張し、憲法を国のあり方として取り戻し軍縮への歩みを進めていくことが大切だ」と強調した。

 医療九条の会・北海道が主催し、JCJ北海道支部が後援。会場には百六十人が参加した。松元さんは嘉手納基地近くの北谷町砂辺で住民を取材した際、移り住んできたばかりの女性が米軍機の爆音によって体調を崩し、その一歳の息子が初めて覚えた言葉が、母親がその爆音に対して発していた「怖い、怖い」という言葉だったというエピソードを「頭を殴られたようなショックだった」と紹介。「基地被害に苦しむ住民の目線で記事を書いていくことが基地報道の原点だ」と強調した。普天間基地近くで米軍ヘリが墜落した事件では、地元警察や消防よりも米兵が現場を封鎖し、日本側が指一本触れられないまま、米軍が墜落した機体や現場の土までも持ち去ったが、これに対して外務省が「日米地位協定に抵触しない」と容認したことについて「沖縄問題の大きな壁は米軍だが、日本政府の壁のほうが実はもっと厚いのだ」と述べ、現地住民が抱えるもどかしさを語った。

 また、訓練中の流れ弾が住宅地で発見されたり、住宅地のそばに市街戦訓練の施設が造られるなど、米国本土でも許されないような問題に対して米軍側から一切説明がなされないことについて「米国と日本で住んでいる人々の命の重さが違うとでもいうのか」と怒りをあらわにし、こうした米国と日本の二重基準の中で宙ぶらりんになった沖縄には「非憲法的な状況が凝縮されている」と言い切った。

 さらに、一九九〇年代から、日米の軍事一体化を目指して整備が進められてきた周辺事態法、日米新ガイドライン、有事法制という流れについて「自衛隊が戦争できる組織に変えられ、平和憲法に矛盾する状況が深化している」と指摘。イラク戦争を反省し、世界各国が政権交代によって米国との関係のあり方を見直している中で、日本だけが「日米同盟」を最重視する姿勢を批判し、南北朝鮮や中国とともに「アジアにおいてNATOのような安保を築くことをあらためて主張しよう」と述べた上で、そのような多国間安保こそが「軍縮への歩みを進め、九条を守る行動を具体化することにつながる」との考えを披露した。

 続いて松元さんは、JCJ道支部会員の徃住嘉文・北海道新聞編集委員と対談。米軍駐留に対して厳しい姿勢を貫く沖縄メディアと本土のメディアを比較して松元さんは「日本政府はすぐに沖縄に(事態収拾の)『落としどころ』を沖縄側に求めてくるが、永田町で取材している記者も私たちに『この問題の落としどころを沖縄はどう考えているのか』と尋ねてくる。常に弱い側に落としどころを求めてくるという連鎖をどこかで断ち切らなければならない」と述べ、今なお憲法がないがしろにされたまま米軍駐留が続けられる沖縄問題の本質とその背景を知ることの重要性を強調した。

(事務局長 安藤 健)

【松元さんの講演要旨】

 1989年に入社以来、基地関連取材を11〜12年続けてきた。この10年では、県政が基地容認に変わったり、沖縄でサミットが開かれるなど、節目節目での取材に携わってきた。今日はこれまで私が取材してきたことや見てきたことを話したい。

 那覇空港に着陸するとき、北側から入ってくる民間機は、本島にさしかかると1000フィート(300メートル)という低い高度で入ってくる。実は、民間機はこれ以上高い高度で飛ぶことができないのだ。沖縄には2800メートル滑走路を持つ普天間、3700メートル滑走路を2本持つ嘉手納という大きな基地がある。中でも嘉手納は、コンコルドが着陸することもできるし、スペースシャトルに緊急事態があったときに着陸することもできる大きな基地なのだが、この両基地を拠点に米軍はさまざまな航空機の訓練を行っている。実はこの両基地と那覇空港の滑走路は直角に交差しており、そこで優先されるのが米軍機なのだ。航空機は巡航高度までさっと上がるのが理にかなっているのだが、それが許されるのは沖縄では米軍機なのだ。基地の80キロ圏内では、民間機はそれ以下の高度でしか飛べないのだ。パイロットに話を聞いたことがあるが、「那覇空港に着いたときは、よく無事に着きましたと乗客に拍手を送りたい気分だ」と言っていた。高度300メートルで多くの人を乗せて飛ぶというのはものすごい重圧だという。ビルの谷間を抜けるように飛んでいたかつての香港国際空港と同じくらい緊張するのだそうだ。

 日本全体の0.6%にしかすぎない沖縄県土の10%、本島に限れば18%に、全国の米軍基地の75%が集中している。沖縄では米軍は建てたい建物を建て、つくりたい訓練場を作るという自由使用が担保されており、最も使い勝手の良い基地が集中しているのだ。それが沖縄問題だ。もちろん、全国の自治体が抱えている問題は沖縄でも共通で、財政難にあえいでいるし、輸送コストがかかるという島特有の問題もある。それに加えて、沖縄では基地に関わる事件や事故、地位協定の不平等性という問題がある。また、基地に依存するという基地経済という、政府から刷り込まれた「常識」もある。だが、沖縄問題は沖縄だけの問題ではないのだ。辺野古で反対運動を続けている平良夏芽さんは「沖縄には憲法がない。沖縄には憲法は適用されない」と話していたが、沖縄は全国の民主主義を映す鏡だと思っている。

 沖縄では、異民族統治の27年間に基地が集中させられた。沖縄はただでさえ銃剣とブルドーザーで土地が接収されて基地が作られていたのに、朝鮮戦争から引き揚げてきた海兵隊までもが沖縄に押しつけられることになった。マッカーサー元帥は「沖縄の基地化で、日本に基地を置かずに日本の安全保障ができる」と語った。9条の存在が日本で守られてきたのは、護憲の運動もあったが、この安全保障の矛盾を沖縄に封印したからでもあるのだ。憲法をより具体的な国のあり方として再確認して国を立て直すことと、沖縄から基地をなくすこととはイコールだと思う。

 91年から95年まで司法を担当したが、そこで嘉手納爆音訴訟を取材した。これは周辺住民907人が「静かな夜を返せ」と訴えたものだ。この1審判決が94年2月に出たのだが、このとき、うるささ指数90〜95という爆音の下でも海沿いで伝統を守りながら住み続けている北谷町砂辺の住民たちをルポした。本来なら社会部の遊軍が取材する者だが、自ら志願して取材班に入れてもらった。そこで暮らす退職後の夫婦を取材したのだが、彼らは退職金を元に、高校卒業後に砂辺を出た後、結婚してまた砂辺に戻ってきた息子のために家を建ててやった。息子さんは奥さんを連れて移り住み、孫も生まれたのだが、奥さんは米軍機が飛ばない静かな本島南部出身だったので、米軍機の騒音に悩まされ、ほどなく体に変調を来し、別人のようになってしまった。息子さんは結局、一年足らずで家を出て行かなければならないことになってしまった。こうして一家が引き裂かれたことを取材し、胸が詰まる思いだった。

 砂辺の騒音は、90〜100デシベル、時には120デシベルにもなる。とたんが揺れるくらいのうるささだ。それなのに未明に10機も離陸してたたき起こされることが年に5回も6回もある。記事に書いた110デシベルの騒音というのは、車のクラクションを1メートル離れたところで聞くうるささだ。そういう離着陸は日に180回から多いときには230回もある。そうして毎日、生活が寸断されているのだ。
 この父親を取材しているときに、こんなこともあった。息子夫婦は1歳の孫を父親に預けていたのだが、孫が突然走ってきて、おじいさんの膝の上に座って泣き始めた。どうしたのかと思ったら、その10〜15秒後、F15の編隊が下りてきたのだ。大人には聞こえない音を小さな子供は察知していたのだ。沖縄でも那覇と中部では基地問題の近さが違うのだが、この光景を見て、私はショックを受けた。そのとき父親は「この子が最初に覚えた言葉が分かるか」と私に尋ねてきた。私が答えられないでいると、「『父さん』でも『母さん』でもない。『怖い、怖い』だったんだ」と教えてくれた。自分の母親が飛行機が飛ぶたびに心も体もおかしくなって「怖い、怖い」と言っていたからだというのだ。私は頭を殴られたようなショックを受けた。このように基地被害に苦しむ住民の目線で記事を書いていくことこそ、基地報道の原点だと思っている。

 沖縄の新聞に対して政府では「沖縄の新聞は反政府、反権力で政府に異を唱え、あおっている。アルジャジーラみたいだ」という人がいる。政府が法の下の平等に反したことをしているから、そういう言説をしているのに、この10年そういう言い方がされてきている。「住民の話に耳を傾け、反映させるという政治の責任を果たすべきだ」という当然の主張をしているのに、ここ最近はメディアが攻撃され続けている。選挙の節目に世論調査をやるが、沖縄の新聞では誰を支持するかということ以外に、「普天間の県内移設に賛成か反対か」というような基地問題についても聞いている。普天間の県内移設については反対が70〜80%で貫いている。一度だけ、大田昌秀さんから稲嶺恵一さんに県政が変わった選挙のときの世論調査で移設を「容認する」が47%、「容認しない」が44%と逆転したことがあるが、これは「容認」という設問が悪かったと思っている。その後も、辺野古への移設については賛成は1けた台が続いている。現在の仲井真弘多知事が誕生したときの選挙でも県内移設反対は60%あったのだ。だから、沖縄のメディアは県民世論と大きな乖離はしていないと思う。県民と手を携えてやってきているという部分はあると思う。

 04年8月13日に沖縄国際大に米軍ヘリが墜落したときに、琉球朝日放送のクルーが撮影した映像を見てもらいたい。私はこれを何十回も見ているが、見るたびに怒りが沸いてくる。ここは民間の土地なのに、米兵が立ち入りを拒み取材を妨害し続けるのだ。沖国大は普天間基地のフェンスから30〜100メートルしか離れていないのだが、米兵は高度が低いし音がうるさいなとこのヘリを見ていたという。そして墜落した瞬間、100人の米兵が2メートルのフェンスを飛び越えてなだれ込み、警察や消防より先に米兵が来て現場を封鎖したのだ。しかし、彼らが現場を封鎖する権限は地位協定のどこを読んでもない。彼らは「ヘリは軍事機密の塊だから封鎖する」といい、沖縄県警は機体に指一本触れられず、米軍は1週間後に機体を持ち去った。環境汚染も懸念されたのだが、米軍は現場の土さえダンプカーで持ち去ったのだ。破壊された校舎だけを残して。さらに外務政務官も市長も知事も県議会議長も誰一人現場に入れなかった。外務政務官は「ここはイラクではない。日本の主権はどこにあるのだ」と激怒していたのだが、外務省は1週間もしないうちに「米軍の強制的行為は地位協定に抵触しない」と追認してしまった。いろんな事件、事故が沖縄では起きるが、公務中の事件、事故については、県民に背を向けて正当化してしまっているのだ。このことは、地位協定が基地の使い勝手の良さを担保するためのものだということを反映している。大きな壁は米軍だが、日本政府の壁の方がもっと厚いと感じさせられる。しかし、この事件は、ナベツネが巨人のオーナーをやめたニュースや、アテネ五輪の影で、新聞やテレビのニュースでの扱いは小さかった。沖縄で起きたという距離感のせいか、人も死んでいないからという見立てがメディアの側にあったのではないかと思う。しかし、これに対して沖縄では保革問わず「ヤマトの報道は何なんだ」というメディア批判が渦巻いた。テレビ朝日の「報道ステーション」だけは、10日後に映像をダイジェストで流したが、当日流していたら違った展開になったのにと指摘する外務省の職員もいた。

 沖縄では日本本土や米国本土でできない訓練をやっている。先ほどF15が未明に離陸したという記事を紹介したが、こうした嘉手納の騒音軽減というのが米軍再編の大きな眼目でもある。しかし、なぜ嘉手納を未明に飛び立たなければならないのか。それは、米国本土に安全な昼間に到着したいからなのだ。

 キャンプハンセンで流れ弾に車が被弾したという事件があった。銃弾は山側に向けて撃つ訓練しか許されていないのに、どうしてだろうかと調べたところ、実はその時間には、山向こうの恩納村では激しい訓練をしていたのだ。これは村役場がビデオを撮っていたので、100%米軍がやったことに間違いないし、砲弾も鑑定した結果ピタリと一致したのだが、今月初め、米軍は関連を否定した。「十分に安全措置を講じているので、飛ぶはずがない」というのだ。地位協定という壁に阻まれて、どんな訓練をしているのかという情報が日本側に一つももたらされないのだ。私はこれに「またか」という思いだ。02年にキャンプシュワブで同様の事件があったのだが、米軍は訓練していたことは認めたが、自分たちの弾だったかどうかは認めなかったからだ。

 米国本土での訓練では、訓練情報は地元住民に開示されている。飛行機は住宅地の上を飛ばないことになっている。それなのに、普天間は周辺がすべて住宅地だ。普天間は米国本土ではつくれない基地で、米国ならすぐに運用禁止になる基地だ。キャンプシュワブではグリーンベレーによる都市型戦闘訓練場が05年にできた。その中のタワー(射撃塔)は住宅地からわずか300メートルの所にある。これは日本本土でも米国でも欧州でもどこでもつくれない場所なのに、なぜ沖縄ではできるのだろうか。実は、グアムで同様のタワーをつくろうとして、03年に断念している。これは1キロ離れたところにショッピングセンターを建設するという計画が持ち上がったからだ。米国と日本で住んでいる人の命の重さは違うのだろうか、と地元の人は憤っていた。日米安保条約と地位協定で、こういうことが許されているのだ。直ちに住民に被害が及ぶところに実弾訓練場がある、これは米国と日本のダブルスタンダードだ。ここに沖縄の非憲法的状況が凝縮されていると思う。9条を持っていながら、米軍に際限ない権限を与えて駐留を許すという矛盾がどんどん進んできたというのが現実だと思う。

 沖縄では、平和憲法の下で基地のない島に、と願って復帰運動が進んだ。だが、沖縄の戦後史から憲法問題を見ると、憲法が日米安保体制に凌駕されていると考えざるを得ない。

 90年代後半から、周辺事態法、新ガイドライン、有事法制などが成立した。平和憲法を持っていながら自衛隊を戦争できる体制に押し上げていこうとしている。憲法よりも日米安保が現実論をまとって大きくなっているというのが90年代からの流れだと思う。「軍事一体化」というと米国が主で日本が従というふうによく言われるが、沖縄を見ると、米軍基地に自衛隊を降ろして訓練するなど米軍と自衛隊の一体化が進んでいる。日米の軍事融合がどんどん進んでいると感じている。自衛隊が戦争できる組織になって、平和憲法に矛盾する状況が深化しているのだ。安保が上位か憲法が上位か。絶対に憲法が上位なのに、それがないがしろにされている。9条を堅持し、改憲は絶対にさせてはならない。今は、かなりギリギリの局面にあると思う。

 90年代からアジアの多国間安保が具体的に語られたことがある。韓国や北朝鮮、中国とともにNATOのような安保体制を築こうというものだ。沖縄にある日米のいびつな2国間関係を解消するにも、私は有効だと考えている。しかし、それは影が薄れてしまい、北朝鮮の拉致問題がそれに拍車をかけてしまった。しかし、イラク戦争で世界が反省し、各国で政権が交代した。政権が変わっていないのは日本だけだ。私は、アジアの多国間安保をもう一度主張し、憲法を国のあり方として取り戻し、軍縮への歩みを進めていくことが、9条を守る行動を具体化することになると考えている。

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