2009年11月7日

知られざる島民たちの辛酸
〜南クリルの歴史をひもとく〜

北大スラブ研究センター 荒井教授が講演

 JCJ北海道支部は、十一月例会「これからの北方領土問題」を十一月七日、札幌市中央区の「かでる2・7」で開いた。講師は、百五十回以上もサハリンに赴き、南クリル地区(国後島、色丹島、歯舞諸島)の歴史を研究している、北海道大学スラブ研究センターの荒井信雄教授。

 荒井教授はサハリン州立文書館で、機密指定されていた「ソ連共産党南クリル地区委員会 議事録および決定集」について、文書作成から二十年が経ったのに伴い機密指定が解除された部分を読み進めていると報告。「一九九一年九月に当時のエリツィン大統領が共産党の活動を非合法化した際、南クリル地区共産党委員会でも報告があるかないか、世界で初めて文献的に実証できる」と話した。

 また荒井教授は、北方領土問題を考える際に読んでおくべき文献や資料をいくつか紹介。その一例として釧路市発行の「釧路捕鯨史」を取り上げた。「釧路捕鯨史」第二版には、この本を印刷した釧路の印刷会社の社長が寄稿しており、その文の中から荒井教授は「日露戦争が終わった後にカニ漁が盛んになり、現社長の父方の祖父である印刷会社の創業者は、カニ缶のラベルを印刷しようとしてカムチャツカに支店を開いた」「現社長の母方の祖父は洗濯店を営んでおり、太平洋戦争中、せっけん不足に対応するため、国後島の山中で鯨油や魚油を製造した」といったエピソードを読み上げ、北海道と南クリル地区の関係の深さや、当時の人々が国境を超えて活動していたようすを浮かび上がらせた。

 ロシア語の通訳でもあり、日本とサハリンとの間でさまざまな橋渡し役をしてきた荒井教授は、日本人とサハリンのロシア人との間にある相互不信感の根深さに直面し、「大変辛い思いをした」と振り返った。行政のトップによる情報交換についても、不正確な翻訳による誤解が少なくなく、火消しに奔走した体験も述べた。

 また、「オハなどのサハリン州北部には、サハリンで生まれた人はいない。(州都の)ユジノサハリンスクに行ったことがある人も、ほとんどいない」とした上で、現在のサハリン州知事のホロシャービンがオハ市長上がりだというのは異常事態で、長く続かしない」とも解説した。

 荒井教授がサハリンで読み進めようとしている文献には、ソ連支配下のユジノサハリンスクで博物館の爆破構想が持ち上がったり、南樺太や千島で歴史遺産が壊されたりなど、日ロ間の反目の淵源をたどれる記述があるという。また、得撫島に太平洋戦争中、日本帝国の捕虜収容所があり、戦後に多数の遺体が発見された史実や、セベロクリリスクで津波により大勢が死亡した悲劇の資料もあるとのこと。新たな南クリル史を開くであろう研究成果の発表が、今から待ち遠しい。
(事務局次長 町田 誠)

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