■■JCJは、1955年2月「ふたたび戦争のためにペンを取らない」を合言葉に新聞、放送、出版など全国の企業、フリーのジャーナリストによって結成されました。
■■昭和の最初の20年間、日本の国民は、真実を伝えられることがないまま、「物言えば唇寒し」の状況が進行し、侵略戦争に動員され、協力させられていきました。「なぜジャーナリズムは真実を伝えられなかったのか。なぜ戦争に反対できなかったのか」その問いを課題としてJCJは、国際ジャーナリスト大会への代表派遣を契機に、企業の枠を越えたジャーナリストの職能的連帯を求めて結成されたのです。初代議長は、当時雑誌「世界」の編集長だった吉野源三郎氏でした。
■■戦後の日本の基礎となった日本国憲法は、その直後から、朝鮮戦争を理由とした警察予備隊(のちに保安隊−自衛隊)の創設、日米安保条約の締結・改定、破壊活動防止法の成立、など、「逆コース」の攻撃にさらされました。
 JCJは、そうした波の中でジャーナリズムの責任を果たそうと、広範な国民に呼びかけ闘いました。ベトナム戦争に際して日本のジャーナリズムは、米国の政策の誤りを世界に広く知らせ、戦争反対の国際世論をつくる上で大きな役割を果たしたと評価されました。JCJと会員の活動はその中心でした。
 これに対し日米の政治権力は「マスコミ対策」を強化。マスコミ企業の右傾化を進めるとともにJCJや労働組合に露骨な攻撃をかけてきました。組織も疲弊し、文化大革命に端を発した中国からの干渉もあって混乱した時期もありました。
■■ベトナム戦争後も、JCJは有事立法反対運動(1976年)、国家秘密法反対運動(1985年)などで大きな役割を果たしました。同時に、1986年、JCJはそれまでの議長制を改め、秦正流、斎藤茂男氏らによる代表委員制を採用。
 JCJ賞の選考に外部委員を委嘱するなど大きな変革を加え、今日に至る発展の基礎を作りました。市民と大きく連帯し、平和と民主主義を守り発展させ、「知る権利」に奉仕するジャーナリズムを築く職能組織として運動を進める方向を強めたのです。
■■1999年、米軍の都合によって日本が自動的に参戦することにつながる「周辺事態法」、さらに「盗聴法」「国旗国歌法」と矢継ぎ早に国民の言論表現や思想の自由を脅かす法律が制定されました。2001年9月の米国の同時多発テロでは、廃案とされた国家秘密法案に含まれていた「防衛秘密」の新設が自衛隊法改正の形で強行されました。
 そしていま、あたかも市民の人権を守るかのような名前を付けた言論規制の3つの法案「個人情報保護法案」「青少年有害社会環境対策基本法案」「人権擁護法案」が登場してきました。この言論規制3法案はじめ「共謀罪法案」「教育基本法改定」、に反対する運動を「日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)」「日本ペンクラブ」「メディア総合研究所」「個人情報保護法拒否!共同アピールの会」など多くの団体とともに進めました。その後も、平和主義、民主主義、人権尊重を基軸としたジャーナリズムの確立をめざした種々の活動を繰り広げています。


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